第66回 第68回

随想第67回

岩松 正記 母の飲食業 岩松正記税理士行政書士事務所 代表
岩松 正記

私は現在仙台市内で税理士をしていますが、出身は白石市で、仙南の人間です。父は地元のサラリーマンを定年まで勤め上げた人で、母は白石でスナックを経営していました。店を閉めてもう21年経つのですが、私の母は、自分が言うのも何ですが、なかなかの人でした。

母は中学を卒業後美容学校を出て20歳で美容師として独立しました。独立の理由は単に人に使われるのが嫌だっただけらしいのですが、個人経営で19年ほどやっていたようです。しかし借りていた店舗の立ち退きに合って商売を続けることができなくなり、そのあとで母はお得意様だったスナックのママの元でアルバイトをさせてもらいました。

実は母は夜の商売には不向きの容姿でして、先日亡くなった野〇沙〇代さんと狂言師の和〇元〇さんのお母さんを足して2で割ったような感じの人でした。くだんのママさんも、よくもまあそんな人を雇ったものだと思いますが、そこでもやはり、性分は変えられなかったようで、数ヶ月したらそこを辞めて自分の店を持ってしまいました。5人くらいが座れるカウンターと座敷がある、本当に小さなお店でした。

商売じたいは14年続き、「赤字を3か月続けたら店を閉める」との当初からの宣言通り、スパッと店を辞めました。「自分は商売を33年やったけど、税金はビタ一文も払ったことが無い!」などと不謹慎なことを言っておりましたが、もう20余年も前のことなので時効ということでご勘弁を。その息子が今、税理士をやっているというのも不思議なものです。

今、税理士の立場で母の商売を思い起こすと、非常にキャラが立っていたので客層に恵まれていたように思います。独自のルートで、あるレアな日本酒を仕入れ、白石市ではここでしか飲めない、ということでそれ目当てに医者や会社社長などが常連となっていました。常連さんは自宅まで遊びに来たので私も面識があり、「正記くん、あんたのお母さんは大丈夫だからな」と何人にも言われました。当時高校生だった私には、皆さんは母親の仕事ぶりを伝えるためにそんなことを言ってくれたのかな、なんて思っていましたが、しかし、あれから30数年経って自分が飲み歩くようになってよくよく考えると、社長さんたちは「あんたのお母さんには誰も手を出さないから大丈夫だよ」という意味だったのかな、なんて思います。お世話になった社長さんたちももうすでに鬼籍に入っておりますので確かめるすべはありませんが。

そんなわけで、今の私があるのは夜の商売のおかげと言っても過言ではありません。青年会議所時代に比べればはるかに回数は減りましたが、私を育ててくれた業界の恩に報いるために、せっせと国分町に通う今日この頃です。

次回は有限会社FPコールセンター代表取締役 仙台南ロータリークラブ会長 鈴木 俊一様