ご存知「春高楼の花の宴」のうたい出しから始まるご当地仙台出身の詩人、土井晩翠の作詩に滝廉太郎の作曲と知られています。
ところで、晩翠がこの詩の着想にあたり「青葉城」の城跡に想を得たと伝えられますが、もう一つ、愚生が気になるのは二題目
「秋陣営の霜の色、鳴きゆく雁の数見せて~」です。
実は、愚生は戦史物が好きで、とくに我が国では戦国時代、豊臣秀吉が全国制覇するまでは九州、四国に島津、長宗我部、中国に毛利、京畿を中心にその周辺で、織田が立つまでは、松永、斉藤、今川、北条、武田、上杉(長尾)、東北では、台頭しつつある伊達に最上など、各地で覇を競い、まさに戦国繚乱治乱興亡の有様でした。中でも愚生の好みは長尾景虎(のちの上杉謙信)です。
彼の戦将としての働きも目ざましいが、何よりもその人間性、品性が好ましい。
もちろん、領国を保ち、生命を賭けた戦いに品性もへちまもありません。
勝つことが総てです。
そのためには、詐略、謀略、裏切り、何でもありの時代です。
謀略の代表格は毛利元就、裏切りの代表格は松永弾正。しかし、上杉謙信が生涯の好敵手とした武田信玄も負けてはいません。
詐略をもって、親父を駿河へ追い出し謀略を用いて諏訪一族を亡ぼし、その娘を略取、勝頼を生ませ後継とするなど、よく信玄はその経略、軍略を評価されますが謙信には領土欲がなかった為、経略については比較できませんが軍略においては負けていません。
むしろ、信玄の敵情を調べ、緻密な作戦を立て戦いに臨むのに対し、謙信のそれは天才的とまでいえます。
自らを毘沙門天の生まれ変わりと念じ、全軍鋭鋒となって戦う様は天下に名高い武田の騎馬軍団をもしのぎます。
さて、話はそれましたが、その上杉謙信が能登の七尾城を攻略し、戦勝の祝宴で《十三夜》という詩を作っています。
「霜は軍営に満ち、秋気清し、数行の過雁月三更~」
次に晩翠の
「秋陣営の霜の色、鳴きゆく雁の数見せて~」
何とそっくりではありませんか。愚生は晩翠の詩句にケチをつけるつもりではありません。
だが、偶然にしては出来過ぎの感を抱いたまでです。
この詩句を想うにつけても、謙信の精神の《在り処》の高さが清々しく忍ばれます。
国分町の酒と女に酔い痴れる愚生にしては、ちょっとそぐわないかな、オホン
次回はテーブルマーク株式会社 販売統括事業部 東北支店 支店長 二宮竜介氏