『被災地の聞き書き101』より、東日本大震災から7ヶ月後(2011年11月6日)の聞き書き
・聞き手…瀧野 芳 会社員
・話し手…末永勘二 末永海産(株) 代表取締役社長(筆者注※現在は会長)海藻の加工(ワカメ、昆布のチルドなどや)や、牡蠣・ホヤの加工(生食用牡蠣、牡蠣味噌など)の製造を一部再開。
・聞き手…瀧野 自己紹介をお願いします。
・話し手…末永 末永勘二(すえながかんじ)です。1950年4月9日生まれの61歳です。家は石巻市の渡波(わたのは)地区で、育った実家も近くにある。牡蠣の生産をしてる養殖漁民の家で、6人兄弟の下から2番目。実家の養殖業は兄貴が継いでる。私は25歳で水産加工業の道で独立。
・聞き手…瀧野 震災に遭っての心境は
・話し手…末永 結局今回の震災を機に常々考えてきたことを実行に移しましょうってことなんだわ。俺、非常に優柔不断だから、なんかのきっかけがねえと転換できなかった。頭の中では幸せになるにはこのように動かなければいけないと考えていながらも変換できない男だったから。変換しながら感じたのは震災だからなんでも許されるもんじゃねんだなって。三陸の浜で壊滅的災害が起きても日本の中では一部だ。だから甘えっぱなしが通用するもんじゃねんだ。「我々は自立していきますよ」「我々自身が自分の足で立たねえと復興できるはずはねえ」と、若い人たちや友達とかとは話はする。(筆者注※震災直前はかなりテンパっていた。6年過ぎた今は、日本中の人はもちろん世界中の人々の、他者を思う心に逢い、我が心の貧しさに恥じている)震災直後は石巻は立ち上がれるのかなと、正直胸をよぎったし、時間の長さを考えるとかなりしんどいなと思った。だから特に自衛隊さんとボランティアさんは有難かった。
・聞き手…瀧野 今後について
・話し手…末永 末永海産はもっと楽しんで、皆が幸せになる方向に変えていかないといけないんだろうと、ひしひしと思い始めている。その思いの「継続」と「積み重ね」が良い組織創りの基本かなと思う。俺も、俺の親父も、その又親父も、生きてきたすべてが世代をまたいで積み重ねていくのかなと思う。それを子供たちが、後ろ姿として見ているんだろうと。「災害に逢いました」「時代が変わりました」「何か子供たちに残しますか」って付け焼刃じゃないんだな。全部が積み重ねだから。生き方が自然と顕れる訳だ。今まで他人と比べたり、自分自身の歪んだプライドがあって、それに対して勝手にストレスにしていたのが、関係ねんだなって思ってきた。そう捉えると考え方が楽になったかな。まあ、息切れしないように積み重ねて行きますよ。
次回は宮城県議会議員 中沢幸男氏