総務 亀井 弘文
言葉。毎日なにげなく当たり前のように使っているこの道具。誰がどのようにしてこの道具を作りあげたのだろう。みんな集まって決めたのではないでしょう。いつの間にかそうなったらしい。
思考、認識、感情、愛情など様々な心の動きは全てこの道具を使って表わされる。他者や物自体を見て判断する悟性もこの道具を使う。だから言葉に無いことは認識することはできない。言葉には限界があるのだから、普段、私たちはいい加減なことをしているのでしょう。そこから偏見や先入観が生まれてしまいそうです。
会話をしている時、過不足なく話すことは不可能な宿命だと言われています。言葉を使い過ぎるか足りないかということです。また、言うつもりがないことが口から出てしまう。
以前、私はある店でお勘定の際、反対の言葉を発した。「安いね」見栄をはってそう言ったのでしょう。それ以来そのボトル以下の物はキープできなくなった。だちょう倶楽部の故上島竜平さんの熱湯風呂で「押すなよ」もその類?少し違うか・・・。いずれにせよ、意に反した言葉が出でしまうことは誰にでもあるはず。
さて、私の場合、酒を飲みに行くということは、酒自体を飲みに行くのではなく、店の人そして運がよければ常連客と私的な言葉を交わすためです。理想的に過ごすには、店側の手を借りて楽しく現実からふと離れた時と空間を過ごすこと。その時はなごみますねぇ。だけど、なごめるかは自分次第。粋な客の言葉づかいを選ぶことができるかどうかは客次第。なぜなら言葉づかいを変えるだけで思考、表情、身のこなし、話題、生き方までが変わるらしいから。言葉を選べばジェントリーになれるかも。「幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せなのだ」とフランスの哲学者が言うのもうなずけます。
そして、お店も言葉づかい(エクリチュール)を駆使して気分よく見栄をはらせてあげるだけ。まずは客の目を観て、うなずくことから始まるのかもしれません。
次回は公益社団法人 仙台フィルハーモニー管弦楽団 長谷山 博之 様