第74回

随想第75回

鈴木 伸 楽しき悩み 中央ビジネス交流事業協同組合
理事 鈴木 伸

 書き物に没頭しているときは、腹減らず、眠く無く、疲れさえしらず、命の実を食べている心地がする。自社をこよなく愛する経営者もまた、おなじなのかもしれない。熱中度は恋にちかく、だがそこまで周りが見えなくなっては困りものなので、熱中しつつ達観するといったような、いわば火と水のバランスが大事だ。

 『文章を書くのは大変ですよね』とお話をいただくたび、そのようなことを言って、作家はさもありなんという顔をしているわけだが、これはパーティーの礼服とおなじで、真実のごく一面でしかない。舞台裏では、長編一本おおよそ500枚の原稿用紙を埋めるため、日夜のたうちまわっている。売上か誇りかといった例の葛藤を抱え、泥水をかきまわすごときありさまである。締め切りが近づけばもう無理だと弱音を吐き、血を塗りこめるように仕上げた物語を『前の方が面白かった』と妻に一蹴される。齢41の未熟者なのだから、道のなんたるかなどわかるはずもない。悩む暇あれば一文字でも書けよと、すべてを飲みこんでまた奮い立つわけだが、そのようにひらきなおってさえ、一年かかった物語が紙クズにみえた時の絶望感は骨身にこたえる。

 だのに、なぜいまだ書き物を志すか。これはやはり、悩みというものがおおいに楽しみを含んでいるからだと思う。平坦な人生より起伏ある人生はもちろん苦しい。けれど道程は記憶に残り、振り返って、すなわち満ち足りる。私の場合、文筆と組織運営と、それも二足どころかこの頃は、海外七ヶ国から外国人人材を日本に受けいれることを手がけて、我ながらもうすこし楽な道を歩けないかと思うが、結局これが楽しいようだ。人は性分と折り合いがついたときに初めてらしく歩ける。しかし『完成とは、これ以上付け足すものが無くなって完成なのではなく、これ以上削ることが無くなって完成なのだ』というサン・テグジュペリの言が自戒のごとく浮かび、そうか、家族、友人、先生、仕事仲間がそのように育ててくれたのだと気づかされる。深慮すれば、いつもその始まりに感謝があって、それもまた有難い。皆様に感謝し、受けた恩を返す。そのためにもいっそう楽しく苦難の道を歩きたい。

 雅号 冴崎 伸

次回はエフエムベイエリア株式会社 代表取締役 横田善光 様