第6回 第8回

随想第7回

間庭 洋 奮い立つ我らがふるさと 仙台商工会議所 専務理事 間庭 洋

仙台の七夕さんは、ご承知のとおり江戸時代、伊達政宗公が仙台藩内の家々の婦女子に健康長寿や家内安全、倹約、物を大切に、豊漁、豊作、裁縫や歌そして書の上達などを願うまつりとして推奨されたと伝承されております。

その後、長く様々な歴史を経て今日の仙台七夕まつりに至っております。

特には、第2次世界大戦終戦後の貧困や家族を失った悲しみなど打ちのめされた市民、商店街等が仙台空襲後の焼け野原から勃興するように立ち上がっての七夕再興は、さながら今回の東日本大震災に打ちのめされた中から、すっくと復興に向けて立ち上がろうとしている震災に負けないぞと言う気概に重なって見えます。

これは、伊達政宗公が、サンファン・バウティスト号を建造し、今から丁度四百年前の1613年に支倉常長らを慶長遣欧使節団としてスペイン、ローマ等に派遣した壮大な事業が、慶長大地震・津波による沿岸地域の壊滅的な被災のわずか2年後に将来を見据えて挙行されたことなどにも重なる事で、心が奮い立つ我らがふるさとの復興への力でもあります。

1613年石巻の月の浦から出帆し、メキシコ・アカプルコに寄航経由して、1614年スペインに上陸し、1615年遂にローマ・ヴァチカンにてローマ法王に謁見かなうのであります。スペインとヴァチカンにて伊達政宗公の親書を渡すなど当時の世界の中心において政治経済の交渉を支倉常長ら仙台藩の皆さんは、積極果敢に行うなど全行程7年間を費やしてのワールド・ミッションの重責を担いました。

当時の状況を現代に置き換えてみれば、おそらくは、未知の宇宙へ派遣されたくらい大変な偉業であったことと察するに難くありません。

いま私ども大震災の被災にあえぎ苦しんでいる中にも伊達政宗公など先達のように大きなビジョンを描いて震災前よりも、もっともっと良くして行こう!と言う気概に充ちながらふるさとの再生や未来の創造に邁進された背中に学び、大震災からの復興は、長い道程ですが、東北・仙台のすばらしく良いところを活かしながら、さらなる元気な明日を目指していきたいと思います。

次回は、仙台ターミナルビル(株)専務取締役
メトロポリタンホテル仙台総支配人 紺野 純一 氏