第18回 第20回

随想第19回

川添 良幸 大震災は我々に歴史問題を正しく理解するチャンスを与えた 東北大学名誉教授
川添良幸氏

大震災時の一番の思い出は食べ物です。電気が止まり、冷凍庫の保存食品がもったいないから食べようということで、連日、お腹いっぱいでした。さらに、東北学院中高同級の牛鍋入間からチャンピオン肉が溶けてしまうからと相当量をもらい、今日はすき焼きだ!もっとも、市内中心部はすぐに電気が通じたので、入間からは、後で、あの程度の停電なら保存出来たのに・・・と。でももう後の祭り!これも同級生のパンセからも焼きたてパンをもらい、元気が出ました。友達の有り難みに心から感謝!

一方、独身者の困窮は後で分かったことです。保存食がなく、コンビニエンスストアを頼りに暮らしている人にとっては、食べ物の供給源がなくなり、あるのは酒だけ。かみさんがおにぎりを作ってくれたのを研究室に持って行くと、久しぶりの固形物だ!と、ガツガツと食べてくれました。一人暮らしには問題が発生することを実感しました。

震災後、人心に変化があったと思います。ちょっとしたことでも泣き出す人、その逆で人のことを考えない人と分かれてしまいました。公共交通機関内が混雑しているのに、荷物を座席において広く占拠して平気な若者が増えました。情けないことです。7月末に北京に行った時、タクシーは渋滞で時間がかかるからと友人と地下鉄に乗ってびっくり。若い中国人がニコニコと私に席を譲ってくれたのです。我が国は先進国、皆平等を信じてきた世界が急激に変わっています。発展途上国とさげすんではいけません。我々も東京オリンピック前はやたらとクラクションを鳴らしていたのです。大震災は、我々に歴史問題を正しく理解するチャンスを与えてくれました。

私の研究室は三十四名の博士を出しました。そのちょうど半分が外国人です。彼らは仙台を第二の故郷と言います。ロシア人の友人から預かった息子は、今は東北大学の准教授をしています。おかげでロシアのメガグラントリーダーに選んでもらい、年中、シベリア送り(?)。全く地震の無い国ですから、大震災の時の驚きようは大変なものでした。

世界で八百万部売れている百歳のお爺さんが養老院を抜け出して大冒険をするという本を読みました。人生の超過勤務時間なのだから何をしても平気という言葉が気に入りました。大震災を生き延びて、今は超過勤務。今日はホーチミン。世界中で偉くなった卒業生に呼ばれ、超過勤務が増え続けています。宮城県においでになる人たちが、東京とは違う地方の良さを実感して帰られ、また来たいと言ってもらえる宮城県にしたいものです。

次回は、(株)日本遺伝子研究所 所長 中川原寛一氏