第106回

随想第107回

公益財団法人仙台フィルハーモニー管弦楽団事務局 長谷山  博之 飲水思源 音楽編 公益財団法人仙台フィルハーモニー管弦楽団事務局
長谷山 博之

日本に洋楽が入ったきっかけは基督教の布教との説だがそれに接したのは極々一部の人であろう。しかし、それも禁教令により長きに渡り西洋旋律が鳴り響く事が途絶えることとなる。

その後、黒船来航をきっかけに日本は近代化の道を歩み始め、その中で洋楽が広められることとなる。明治33年には「軍艦行進曲」が生まれ日本の音楽が世界レベルに達したことを海外に知らしめた。

仙台での本格的な洋楽の始まりは明治18年、音楽取調掛(現東京藝術大学)を卒業したばかりの仙台藩士の子息である四竃仁邇により歌唱指導が行われたのが始まりであると言われている。

その後、明治29年には「宮城少年音楽隊」が設立され、大正時代には国分町にあった歌舞伎座でオペラ公演の試みもなされ、東北学院大学ではハレルヤで有名な「メサイヤ」の演奏会もなされた。昭和になると東北大学交響団が設立され演奏活動は活気を見せた。大東亜戦争終戦間際の昭和19年にはNHK仙台放送管弦楽団が設立された。戦後このメンバーは仙台の音楽文化の礎として様々なところで活躍することとなる。

やがて警察、消防、自衛隊にも音楽隊が設立。固定されたメンバーのプロフェッショナルな音楽集団の誕生である。そして多くの演奏団体が設立され様々なところで音楽会が開催され音楽が一層身近な存在になっていく。

私の勤める仙台フィルハーモニー管弦楽団の前身である宮城フィルハーモニー管弦楽団設立されたのは1973年。当時を察すると人も楽器も足りない中で正に粒粒辛苦の連続の日々を過ごした事である事は間違いない。仙台フィルに限らず今行われている種々様々な音楽イベントもこうした諸先輩たちが作ってくれた土壌の上にあるのだろう。

仙台フィルの目的は交響管弦楽の演奏で、時として邦人作曲家の作品も取り上げるが、大雑把に言えば西洋音楽の再現である。楽団員の苦労は知る由もないが、同じ曲を何度も奏でても、その度毎に新しい発見があると言う奥の深さである。

良き演奏会の後は、心なしか高揚し小気味よい疲労感に包まれる。その日の演奏を思い起こしながら炙った烏賊を肴に呑む日本酒はまた格別である。西洋音楽文化の先端に居ても捨てられない日本人の性である。

次回は株式会社ブレイン 代表取締役社長 鈴木 英信 様